Born For Bad Luck

Roscoe Chenier


2003-10-10 FRI.


1994 年に長いこと彼の夢見たブレイクが、アルバム Roscoe Chenier によってもたらされ、その後は Roscoe Style、Roscoe Rocks とリリースしている彼の、ごく初期の(と言うより、おそらく最初の?)吹き込みです。
どうやら自宅で録音したものらしく、音はとても 1960 年代に入ってのものとは思えないくらいですが、演奏のほーはやはりポスト B.B. のモダーン・スタイルと言っていい(かどうか、ちょとギモンも残るけど)もので、いわゆる「スロー・ブルース」の文法を忠実になぞっています。
唱い方もあきらかにその流れの中にあって、B.B. が多用する急にオクターヴ上がるようなメロディ・ラインも盛り込まれてますが、ただオブリのギターがかなり前面に出て(これは意図したもの、というより、録音した時のマイクからの距離でタンジュンに決まっただけだと思うんですが)るのが粗削りな感じでよろしい(のか?)。

いちおうクレジットじゃ Roscoe Chenier もギター弾いてるハズなんですが、録音状態が悪いのと、モノラルのせいで、ギターはオブリを入れてる Lonesome Sundown(と思われる)のほーしか聞こえません。ま、ヴォーカルとのカブリ具合からして Roscoe Chenier が自分で唄いながら、こんだけのギターを弾いてる、とはちょと信じ難いので Lonesome Sundown じゃあ?と思ったんですが、別に寿家のうな重を賭けてもいいぞ!っちゅうほど自信があるワケじゃないので、「それはちゃう!」って資料をお持ちの方がおられましたらスグにでも訂正いたしますよ。
収録されてるのは(アナログ盤ですが) London GXF 2001 Dark Muddy Bottom

Joseph "Roscoe" Chenier は真珠湾襲撃直前の 1941 年11月 6 日 Opelousas で生まれ、St. Landry Parish で成長しました。
父は Arthur Chenier、母は Philomen Chenier、いとこには Leroy Washington と、John Robinson(ともに Louisiana のブルースマンで、どちらもギター。さんざん資料を探したんですが、ついに生年その他は不詳!)、さらにあの有名な Clifton Chenier と、Morris 'Big' Chenier( 1929 年生まれ。Opelousas の共同農家で育ち、ギターとヴァイオリンを弾くようになる。1950 年代の後半ころには Lake Charles に移り、単独で、あるいは甥にあたる Clifton Chenier のバックとしても演奏して歩くようになる。1957 年には Goldband Records に Let Me Hold Your Hand などを吹き込み。音楽活動のかたわら Lake Charles の Enterprise Boulevard に『 Chenier Barbecue and Smoke House 』なる店も持ち、たまにツアーにも出る、という生活を送った)がいて、音楽的にはとても恵まれた環境にいた、ということになるでしょう。
17 才になった 1958 年には、前述の John Robinson の Nolterville の自宅でギターを教わっています(資料によっては Lonesome Sundown にもギターを習った、としているものもあります )。そして C.D. Gradnier(ベース)と Robert Gradnier(ドラムス)のバンド The Blue Runners にヴォーカリストとして参加(ハープの Dee Dee Gradnier とのカンケーは判りませんでした)。

今日のブルースとして採り上げた Born For Bad Luck は、その The Blue Runners にリード・ギターとして Lonesome Sundown を迎え、1962 年に Opelousas の自宅で録音した、という一部のコレクターが探し求めている、ってえ「そのモノ」なのかは「?」でございますが( London GXF 2001 のライナーでは 1963 / Reynaud 1018 と記されています。ただ Recording Date ではなく発売時期かもしれないので⋯ケッキョクよー判らん!)、今のとこ手元の資料では、これ以外の記録が見当たらないため、「もしかすっとこれかもしんない」(?)って気がしてますが、確証はありません。
この C.D. & The Blues Runners にはおよそ 12 年間いることになります。1970 年代に入ると彼はいろいろなバンドからバンドを渡り歩くようになりましたが、’70 年代の晩期には自分のバンドを結成することが出来ました。そしてそのバンドでヨーロッパにまで行っています。そのバンドについては the Blues Snapp Band という名前だったようですが、後には the Inner City Blues Band という(たぶん別な)バンドになっています。1980 年からの彼は昼はトラックのドライヴァー、夜はライヴ、という生活をしていたようですが、’90 年代に入ってトラック・ドライヴァーから足を洗いました。
1994 年には Roscoe Chenier の悲願だった「ブレイク」が訪れます。
Avenue Records と契約し、Warner Brothers、Electra、そして Atlantic を通して供給される体制が敷かれました。
Los Angeles に本拠を持ち、全国に供給されたのですが、このアルバムは Roscoe Chenier というシンプルなタイトルで発売されています。
また 1999 年初頭にはオランダで録音されたアルバム Roscoe Style( Black & Tan label )がリリースされ、さらに同年、彼は the Louisiana Blues Hall of Fame に名を連ねることとなります。
2000 年春には Roscoe Rocks も発売されました。

彼のアルバムで顕著なのは、みなさんが知っているナンバーがいっぱい出てくる、ってとこでしょうか?Louisiana Blues Taste で調理した馴染みのナンバーをお楽しみくださいませ。
しっかし、それにしても、この初期の Born For Bad Luck、ここからの距離を意外と近い、ととるべきでしょか?

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